公開研をよろしくお願いします。

  • 2016.09.17 Saturday
  • 13:43

ご無沙汰してしまいました。

『日本児童文学』直接購読のみなさま、会員のみなさまには、10月16日開催、公開研究会チラシがお手元に届いていると思います。

分科会で別れてしまうと、他も聞きたい!と悩ましい所ではありますが、終了後の懇親会で他分科会の参加者とも交流できますので、その機会もご活用いただけると幸いです。詳しい内容はこちらこちら

http://jibunkyo.main.jp/index.php/event/archives/18

 

ご宣伝いただけると嬉しゅうございます。

 

先週、久しぶりにアーサー・ビナードさんの講演を聴きました。

演題は「ローマ字と数字の歴史はスルリと流れていく」。

一回休憩を挟んだとはいえ、4時間に及ぶ、講演。I保育園の子どもたちもたくさん聴きに来ていて、子どもたちを適宜まきこみながらのそれは、話芸というか、ショーの域に達していました。

さて、考えさせられた一点を簡単にご報告します。

 

ビナードさんは、例えば「9.11」という呼び方が定着するまでの流れも語った上で、

自分の「あの日」を、会場を存分に笑わせながら紹介。

氏は、友だちの結婚式のために渡米する予定で、留守中の世話を託すべく、長年飼育している鈴虫のガラスケースを抱えて友だちの家を訪ね、そこで事件を知ったとのこと。

でも、あの事件と鈴虫の件はまったく関係がない。次元の違う、関係ないことを想起することで、事の本質を見なくなるという指摘でした。

「3.11」もしかりとおっしゃって、私は考えさせられました。

「あの日」をリアルに思い出すことは、国の責任を問うていくことにもつながる足場としての力を持つと思います。

しかし、前提として出されたエピソード、

軍備を正当化するときに言われる「戸締まり論」が、国の安全保障という次元を「家の戸締まり」というレベルに置き換えるのが、どんなにずるい置き換えかという批判

はよくわかりました。

 

我が身に引きつける想像力は大切です。

児童文学は、さまざまなテーマでそれを結構やっていると思います。私は、それを大切な視点だと思っています。

でも、次元の違う置き換えは、事の本質を見失わせるという指摘は肝に銘じておきたいと思いました。

戦争を説くときに、ともだちとのけんかを持ち込む言説はよくお目にかかりますが、それは、戦争の本質につながる論議にはつながっていかないでしょう。

 

子どもたちにわかりやすく説明するための工夫は尽くされて当然です。

ただし、そのときに問題を矮小化したり、すり替えたりしていないか、厳しく見極める必要があると考えさせられました。

 

 

 

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